今日、日本製アニメは世界中に普及しています。秋葉原はオタク文化の聖地として知られ、年に2回の東京コミックマーケット(コミケ)には毎年多くの外国人が訪れるようになりました。しかしながら、オタク文化の中心と言える制服萌えについて、必ずしも外国のアニメファンに理解されているとは思えません。なぜアニメの女の子は水兵服を着るのか?ブルマーとは一体何?なぜ地味なワンピース水着を着たりしているのか??日本人にとって常識といえる事柄について西欧人がどう理解しているのか、少々怪しいものがあります。
この記事はそれらの誤解を解くために…作ったものではありません(笑)。ただ自分の趣味と英文練習のために書いてみただけのものです(実際、英文を先に起こしてから日本語に翻訳してます^^;)。しかしながら、この記事から日本の学校と制服について…日本の歴史の一面について知って頂ければとは思います。
なお、この記事にアダルト的な意図は一切含まれないことを先に明言しておきます。
★「博報堂」の笠井修二氏は同姓同名ですが、私とは全く無関係ですのでご了承ください★
日本の基本教育制度は、2段階の義務教育と2段階の高等教育からなります。前者は6年間の小学校(5〜12歳)と3年間の中学校(11〜15歳)、後者は3年間の高等学校(14〜18歳)、そして2年または4年の大学校(19歳〜)からなります。歴史的な理由により、1月1日から4月1日までに生まれた子供(早生まれ)は他の子供より一年早く学校を始めます。この理由により、学級年齢には1年の差が生まれることがあります。
ほとんどの中学校と高等学校が制服を定めている一方で、小学校と大学の多くは制服を定めておらず私服通学となっています。興味深いことに、例外となる学校…制服を定めた小学校や女子大学や、逆に私服通学の中学校や高等学校の多くは私学校、しかも名門と言われるところが多いです。
学校が制服を定めている場合、通常の学校生活内において制服着用を義務づけられていることは勿論ですが、校則は私用時(自宅から出るとき全て)において制服の着用を奨励しています(殆どの場合は無視されますが)。また制服は社会的な催し…記者会見や葬式など…においても、学生の正装として着用されます。一方、校則は制服着用を勧めているだけでなく、化粧や派手なアクセサリーの着用も禁止している場合が多いです。
しかし欧米諸国に比べ、なぜこれほど多くの日本の学校が制服を義務づけているのでしょうか?幾つかの理由が考えられます。
始めに、日本の社会的傾向が挙げられます。日本の社会においては、独立や独創よりも協調と調和が重んじられます。教育においても「よき社会人」を育てることに重点を置く伝統があり、それゆえに殆ど軍隊的ともいえる校則が定められています。制服は社会の一員として与えられた地位を自覚し、社会規則を遵守させる為の教育手段の一つと見ることができるでしょう。
次に、安全管理という側面が挙げられます。多くの学校は異なるデザインの制服を採用しており、それゆえ制服を着た生徒はどの学校の生徒か一目で見分けることができます。また、特に女子の制服は暗色を採用した露出の少ないデザインが多く、性的な発露をなるべく抑えるよう意図されています。これらの理由により、制服には生徒をアルコール・煙草・夜のパーティーなど悪しき誘惑から遠ざける効果が期待されています。
三番目の理由は経済的なものです。日本は歴史的に早い時期から義務教育を採用していましたが、公立学校の生徒にはかなりの経済的格差がありました。制服は少なくとも外見的な差異を平均化する効果があります。経済的発展を遂げた今日の日本においても、年頃の少女にとって制服は少なくとも学校における衣装を気にする必要をなくし、不要な出費を抑える効果があります。
いろんな意味において、学校制服は日本でポピュラーな存在です。上で述べたように、ほとんどの中学校および高等学校において制服が採用されていまおり、4月になれば入学式の会場で、真新しい制服に身を包んだ新入生と両親が記念写真を撮っている光景を日本中で見ることができます。
空想上の世界にも制服は多く登場します。マンガやアニメ、TVドラマ、映画やパソコンゲームに登場する人物の多くが架空の制服を着用しています。時には空想と現実が逆転することも…熱烈なファンが作品に登場する架空の制服を仕立て、現実世界で着用することがあります。これはコスプレと呼ばれ、コミケ会場には多くのコスプレイヤーが集います。しかしながら、現代日本の基準においてもコスプレは「変な奴」と思われているのが実情です。
制服には闇の側面もあります。制服を着た少女の清純さと可愛らしさは、男子学生だけでなく幅広い年齢層の男性にとって憧れの的でした。日本のアダルト市場において、制服少女の写真集、マンガ、ビデオ、パソコンゲームは人気のある分野です。これらはロリータ・コンプレックスを略してロリコンと称されることもあります。
学校における制服は、学生服・体操服・水着の3種類に大別することができます。
日本列島の気候は、蒸し暑い夏と冷え込む冬の両極端を経験します。そのため制服も季節に合わせて夏服、冬服そして合服の3種類が用意されていることが多いです。
規則好きな日本人の性格を反映してか、制服を着替える時期までも学校が定めています。夏服への切り替えは5月、冬服への切り替えは9月に行われることが多く、これは衣替えとして知られています。
女子の学生服はセーラー服とそれ以外に大別できます。ここでは夏服・冬服の両パターンを示しました。
セーラー服は船員の作業服がその発祥ですが、海上自衛隊がいまだ軍装として採用しているにも関わらず、日本では女子学生服の代名詞として知られています。しかし長く親しまれてきたセーラー服は、東京など都市圏では急速に姿を消しています。
図は基本的なセーラー服を示しています。裾と襟に入る白線は学年を示している場合が多いです(2年生なら2本のように)。学年ごとにスカーフの色を違えることもあります。
ブレザーはセーラー服に次いで一般的な制服です。色や柄、ボタンの配置、ネクタイの違いなどデザインのバリエーションが豊富なところに特徴があります。
この図も基本的なブレザー制服で、公立の中学校に多く見られるデザインです。胸に付けた名札は小学校・中学校によく見られるもので、名前、学年、学級などが示されています。しかし、これはプライバシー上の理由によって廃止されてゆく傾向にあります。
ワンピースのジャンパースカートは中学校か、さもなくばミッション系の高等学校によく見られます。子供っぽいと言われることもありますが、お嬢様的で上品な雰囲気だとも言われます。
図に示した例では、冬服の上にボレロジャケットを羽織っています。また、暗色のハイソックスもお嬢様学校によく見られるものです。
日本の女子学生の新しいファッションセンスからみると、地味で厚ぼったい伝統的な学生服は「お洒落じゃない」と考えられています。こうした事情から新しいデザインの制服を採用する学校も増えており、明るい色で短めのスカートが共通の特徴となっています。しかしスカートが短くなると下着が見えてしまうことが気になるもので、スカートの下に体操着などを着用する学生もいます。
図に示した例ではルーズソックスを履き、襟元のネクタイも緩めてぶら下げています。この手の「ルーズ」ファッションは 1990 年代以降に流行したものですが、厳密にいえば校則違反であることが多いです。
ポロシャツもまた新しい制服として採用されることが多いです。女子と男子で同じデザインを採用することもあり、現代日本における男女平等化を象徴しています。ポロシャツは気楽に着られて手入れも楽だとの評判ですが、子供っぽいと言われることもあります。
日本の教育制度は授業に体育を取り入れており、その為の制服として体操服を定めています。年頃の少女にとって、体操服の脚まわりは特に気になるところです。
ブルマーはもともと、アメリカの女性解放運動家アメリア・ブルーマー(1818-1894)によって発案されたものです。日本においては 1920 年頃に女子体操服として取り入れられましたが、当時のブルマーは提灯ブルマーと称されるルーズフィットのものでした。
今日ではタイトフィットのショートパンツに置き換えられ、提灯ブルマーはほぼ絶滅しています。新しいブルマーはもともとバレーボール選手の試合着で、東京オリンピック(1964)における日本女子バレー選手の大活躍によって一躍人気となったものです。
優美な身体のラインを見せるブルマーは男子学生に人気でしたが、女子はこれを恥ずかしいと感じるようになり、1990 年頃にはブルマーの着用を拒否する事例も起きはじめました。これによって、特に都市圏の中学校・高等学校においてブルマーは急速に衰退しています。
左図に示したのが提灯ブルマー、右がショートパンツのブルマーです。セーラー服同様、体操服の襟色やブルマーの白線は学年を示している場合が多いです。
短パンはブルマーに代わって採用されました。ブルマーよりもゆったりしており、膝上くらいまでの長さがあります。一部の学校では男女共用の短パンを採用しており、ここにも男女平等化の傾向が見られます。
スパッツ もブルマーに代わる体操着で、短パンよりもぴっちりしています。多くの場合は小学校だけですが、一部の中学校でも採用されているようです。ブルマーが衰退してゆく今、男子学生にとってスパッツは貴重な目の保養となっています。
ジャージは冬季に用いられる体操服で、多くの場合は男女共用です。ダボダボしていてダサイという印象があり、また使い古しのジャージは母親の作業着に流用されたりすることが更にその印象を悪くしています。
日本の夏季体育授業には水泳教習が含まれ、多くの学校はプールを備えています。水泳授業のためにも標準水着が制定され、一般的にスクール水着またはスク水と略されることもあります。紺または黒の厚ぼったい生地、ローカットのデザイン、時に白線や名札が付けられることもあります。
スクール水着は女子生徒にはダサイと不評ですが、学校において少女のボディラインを見られる数少ない機会でもあり、一部の男性からはフェティッシュな郷愁を持たれていることもあります。
日本の初等教育の歴史は古く江戸時代(1624-1867)に遡ります。それ以前、教育は貴族や武家だけのものでしたが、社会が安定し経済の発達した江戸時代においては、庶民にも初等教育が求められました。この要望に応えるべく、町の私学校である寺子屋が設立されるようになります。寺子屋は公営ではありませんでしたが、のちの日本における急速な義務教育普及の下地となりました。
明治維新(1860-1870)は日本に大変革をもたらしました。教育制度も例外ではなく、新政府によって日本史上はじめての義務教育が行われることになります。これは尋常小学校と呼ばれ、6 歳から 12 歳までの児童を対象とした初等教育でした。これは後世における小学校の前身となります。
侍社会であった江戸時代においては男女差別が公然と行われており、それは明治時代に入っても大きくは変わりませんでした。高等教育(中学校と高等学校)は男子のみが対象となっており、しかもその制度は新設された日本軍と密接に関係していました。詰め襟と呼ばれる男子制服のデザインも軍服の強い影響を受けています。またこれらの学校に通う生徒は坊主刈りを義務付けられることが多く、これも日本軍における習慣に由来していました。軍と学校の関連は二次大戦後にも引き継がれることになります。
しかしながら、近代社会として女性への高等教育も要望されていました。女学校と呼ばれる女子専門の高等学校が設立され、その多くは都市圏に集中していました。女学校は制服を採用していましたが、それは近代的な洋服ではなく、着物と袴を組み合わせたものでした。袴はもともと侍の稽古着だったものです。女学生の着物は矢絣と呼ばれる独特の柄を持ち、また袴は海老茶と呼ばれる暗い赤茶色に染められていました。これらは地味であることを主眼において適用されたものですが、その意図にも関わらず、女学生は明治を彩る華としてもてはやされてゆくことになります。
明治時代を通じて、日本政府は国の近代化=西欧化に総力を挙げていました。そういった社会状況において、女学校の着物や袴は次第に「時代遅れ」とみなされるようになってゆきます。
日本におけるセーラー服は大正時代(1910-1926)の中頃、福岡の女学校がイギリスの学校にならって導入したものが始まりだと言われています。セーラー服は日本海軍の軍装でもあり、軍事色の強い戦前における日本の文化にも適合していました。セーラー服は一夜にして大ヒットとなり、日本中の女学生がこのモダンで可愛らしい制服に憧れ、多くの女学校がその期待に応えるかたちでセーラー服を導入し、セーラー服の黄金時代を迎えることになります。
セーラー服の導入にともなって、髪型も日本結いから三つ編みのお下げを垂らしたものに変わりました。セーラー服と三つ編みは戦前における日本の女学生の代表的な姿となります。
第二次世界大戦(1940-1945)において、日本は持てる国力の全てを「聖戦」に捧げることを強いられました。女学生とて例外ではなく、彼女らは出征した男性に代わって兵器工場での勤労奉仕に就くことになりました。スカートは実用的ではないとして禁止され、もともと農家の作業着であったモンペの着用が指示されました。また緊急時を考慮し氏名・住所・血液型などを記入した大きな名札の着用も義務付けられ、更に空襲に備えて防空頭巾も支給されました。
しかしながら、セーラー服にモンペ、名札そして防空頭巾の組み合わせは誰がどう見ても不自然なものでした。
二次大戦において日本は前例なき敗北を喫し、日本はアメリカの占領下に置かれました。アメリカの文化が急速に流入して日本は大きく変化し、それは女学生も例外ではありませんでした。
アメリカ占領軍(GHQ)は日本を「非軍事化」することに力を注ぎ、それは日本軍と密接な関係を持っていた日本の教育制度にも影響しました。義務教育期間は中学校にまで延長され、日本中で新しい中学校施設が新築されることになります。これらの中学校は男女共学で、男女それぞれの制服を制定する必要に迫られました。
多くの公立中学校では伝統的な制服…男子の詰め襟、女子のセーラー服が採用されましたが、しかしこれらの制服が軍服に由来していることが一部の教師や両親から反発を受けました。一部の学校では、欧米の学校にならってより「平和的」な制服を採用することになり、これがブレザーの導入を招くことになります。また戦後著しい化学繊維の発達によって、より強くカラフルな生地を安く生産できるようになったことも影響しています。これは学校によって様々に異なるデザインの制服を採用することも促しました。
「戦後強くなったのは、女と靴下だけだ」
とは、ある新聞に載せられた感想です。
1950〜1970 年代にかけて、日本は奇跡的な経済成長を遂げます。しかし経済的成功の影で、若者は現代社会への問いかけを始めていました。物価は高騰し、サラリーマンは死に物狂いで働き、ベトナムでは戦争が行われ、日本は実質的にそれを助けている…「戦争とはこの世で最も愚かな行為だ」と教えられてきた戦後世代にとって、それは理解しがたい矛盾でした。この国は彼らが教えられてきたような国なのか?彼らが望んでいるような国なのか?
大学生、とくにエリートは反発して行動に出ましたが、彼らの多くは共産主義思想に共鳴していました。初めは平和的なデモ行進から始まった学生運動はまたたく間に過激化し、大学闘争の名で呼ばれることになります。日本政府は震撼し、機動隊の武力を用いて押さえつけにかかりました。また中学校、高等学校における校則の締め付けを強化し、反抗する若者を押さえつけようとしました。
しかし若者は従わず、彼らなりの反発によって不良が横行することになります。不良は女子学生にもおり、彼女らはスケバンとも呼ばれました。彼女らは制服を改造し、染めた髪にパーマを当て、グロテスクに化粧を施し、煙草や薬物に手を出していました。しかし本格的な麻薬は入手困難であったことから、塗装用のシンナー(トルエン C6H5CH3)が濫用されることになります。不良は教師や両親にとって頭痛の種でしたが、学生にとっては一種のヒーローであり、マンガやアニメにおいては人気の主人公でした。
しかし、経済成長が永続することはあり得ません。中東オイル・ショック(1973) は経済成長に浮かれていた日本に冷や水を浴びせます。不良すらもこの社会情勢には勝てませんでした。いくらワルだと気取ってみても彼らは結局のところ学生であり、オイルショック後の日本においては、不良学生をわざわざ採用してしてくれる就職口は無かったのです。アウトロースタイルの不良は急速に姿を消してゆきますが、学校における生徒の憤懣が消えたわけではなく、それはより陰惨ないじめとして密かに蔓延してゆくことになります。
1980 年代後期、日本経済はようやくオイルショックの影響を抜け出しました。そして、すべての分野が無限の成長を秘めていると考えられはじめました。1960 年代の奇跡の経済成長の再来…そして今度は、誰もがバスに乗り遅れまいと考え、投資ブームが巻き起こります。日本の経済はロケットのような急上昇をはじめ、それは後にバブル景気の名で呼ばれることになります。
この時代、女学生について奇妙な現象が起こります。長い間、女学生に対する憧れは「禁じられた誘惑」でした。彼女らは可憐で清楚で魅力的な存在でしたが、それを公の場で口にするのは一種のタブーとして避けられてきたのです。
しかしどういう訳か、バブル時代にそのタブーは破られます。女学生のセミヌード写真集が書店に並び、フルヌードやセックス映像の違法写真集(ビニ本)・ビデオ(裏ビデオ)が闇で取引されるようになりました。女学生自身すらも、使い古した制服をショップに転売するようになり、これらの店舗はブルマー・セーラーを略してブルセラ・ショップと呼ばれるようになります。
建前として、ブルセラショップは「使用済み学生服の販売店」でしたが、それは女学生が安上がりの制服を探しに入るような店では絶対にありませんでした。使用済み学生服には法外な値段が付けられており、顧客は男性ばかりで、彼らが薄暗く狭い店内で憧れの制服を探し回す様子には陰鬱な雰囲気が漂っていました。
ブルセラ・ショップは両親や教師に衝撃を与えました。どんな親でも大事な娘を売春婦のように扱われたくはありません。彼らはブルマーやセーラー服の廃止を訴え、より新しく、何か今までと一線を画した制服を求めはじめます。一部の学校では世界的に有名な服飾デザイナーにデザインを依頼し、それらはデザイナーズ・アンド・キャラクターの略で D.C ブランド制服と呼ばれました。しかしながら、これら D.C ブランド制服は新規性を求めるあまり、異形のデザインと異端の色を組み合わせた、珍奇なデザインになってしまうこともしばしばでした。
バブル景気は長くは続かず、1990 年代の終わりに日本の不動産と株式市場は壊滅的な暴落を迎えることになります。バブル景気は無の上に築かれたバベルの塔に過ぎませんでした。鳴り物入りで導入された D.C ブランド制服の多くもまた、バブルの終焉とともに消え去ってゆきます。D.C ブランド制服は高価で実用性も低く、ファッションショーのモデルではなく学校で普通の少女が身に着けた場合、セーラーやブレザーにくらべて特に見栄えがするわけでもありませんでした。
ブルセラショップが繁栄を迎えていた頃、日本の少女たちもまた変わってゆきました。もはや女学生は清純で貞淑な乙女ではなくなっていったのです。彼女らの清純はブルセラショップで値札を付けて売られており、社会はその見返りを支払う側に立たされました。1970 年代にはスケバンの専売特許だった化粧は 90 年代にはごく普通の生徒も行うようになり、一部の生徒は日焼けサロンに通って顔を黒く焼くガングロに熱中しました。ルーズソックスもこの時代に発明され、またたく内に日本中の女子学生に流行しました。
女学生がこれほど奇妙な格好に身を包んだのは、おそらく前大戦のモンペ以来のことだったでしょう。髪を薄茶色に脱色し(茶髪)、顔は人工的に日焼けした上から派手な化粧を施し、制服をルーズに着崩し、厚太いルーズソックスで足首を隠し、ぺちゃんこに踏み潰した靴を履き、高価なブランド物のアクセサリーで身を飾り、繁華街に繰り出し、ケータイで男の子を呼び出してはカラオケパーティで深夜まで過ごす…彼女らは蔑意を込めてコギャルとも呼ばれました。しかしコギャルは決して不良少女の再来ではなく、奇矯なファッションの中身はごく普通の女の子だったのですが。
しかしながら一部の女子学生は「楽しむ」だけに飽き足らず、更にその先へ進むことになります…遊びや衣服・ブランドグッズ購入の出費を稼ぐため、彼女らは放課後の売春婦となりました。しかし売春という言葉は使われず、援助交際という名で呼ばれていましたが。インターネットと携帯電話の発達により、客は容易に見つかりました。しかも悪名高きヤクザ達もすぐこの市場性に気づき、手数料を取って少女たちの紹介事業(出会い)を始めることになります。
バブル崩壊はコギャル達にも引導を渡しましたが、しかし日本の女学生はもはや昔とは違っていました。彼女らは自分達が社会からどう見られているか…半ば清純な天使、半ば売春婦…ということを知り、そして戦う術を覚えました。彼女らは主張を述べるようになり、そして社会もそれに耳を傾けるようになりました。女学生は今、自らのありかたを自分自身によって変革しています。しかしながら、彼女らにも手の出せない領域は残りました…オタクによる空想の世界です。
オタクはもともと、現実の女性よりもアニメを愛する人々に向けられた蔑称でした。彼らは窓を閉め切って要塞化した部屋に引きこもり、好みのアニメを日がな一日眺めていると言われました。人と会話することが苦手で、日常会話のボキャブラリーが少なく、たまに会話する時にはどんな相手に対しても「おたく」という二人称を使う、ということが「オタク」という呼称の発祥とされています。オタクは嫌われ者であり、オタク自身もまた同類を嫌い合っていました。しかしながら、オタク族のなかにはアニメや漫画、フィギュアの製作など高い創造性を持つ人々がいたこともまた確かでした。1970 年代中頃から、オタク達は地域で開催されるコミックマーケット(コミケ)で創作物を交換するようになり、彼らの創造性はオタクではない人たちにも知れるようになります。1980 年代からは年に2回の東京コミックマーケットが開催されるようになり、その知名度は毎年上がっているようです。かつて一方的な蔑称だった「オタク」という言葉は今、一種の敬意を持って使われるようにすらなりました。
オタクとコミケは現代日本文化の多く…特にアニメ、漫画そしてパソコンゲームにに強い影響を及ぼしています。若い女性、とくに女子学生はいつも作品のヒロインで、彼女らに対する感情は萌えというキーワードで語られます。萌えキャラクターは大きな眼、幼児的な体型(時に、体型に似使わないほどの巨乳)を持ち、何がしかの制服(学生服、メイド服、巫女、看護婦など)を着用しているというのが一般的なパターンです。
萌え少女を主人公としたパソコンゲームは日本におけるヒット商品の一つです。成人向けのエロゲー、全年齢対象のギャルゲーに大別されますが、内容は大きくは違いません。プレイヤーは主人公となって、マウスやキーボードからコマンドを選択して画面のなかの萌え少女とデートをしたりエッチしたりというシンプルなものです。「ときめきメモリアル(コナミ, 1994)」、「TO HEART(Leaf, 1997)」「KANON(Key, 1999)」などのヒット作には多くのファンが付き、コスプレや同人誌(二次創作)が長く続いています。これらの作品に登場する架空制服は時に非実用的であり非現実的だったりすることは、D.C ブランド制服が大失敗に終わったことを考えると皮肉の感を禁じえません。
空想上の「萌え少女」たちは必然的に、非常に理想化された性格を持っています。彼女らは優しく純真でおとなしく、主人公たるプレイヤーへの無限の愛情を持っています…現実の女子高生とは正反対とさえ言える傾向です。そして一部のオタク達は空想と現実の境界を見失い、現実世界において萌え少女に相当する存在を探し始め…女子中学生、時には小学生への性的関心を持つようになりました。幼児偏愛(ペドフィリア)は人類史上広く見られる現象ではありますが、近代日本ほどそれが広く普及した時代は(少なくとも私の知る限り)無かったでしょう。しかしながら、未成年性犯罪の増加と「萌えゲーム」の相関は不確かなもので、果たして因果関係が存在するのかについては定かではありません。
これだけ書いておいて言うのも何ですが、私自身が制服萌えであることは否定いたしません(驚きました?)。しかし制服を着た少女が可愛らしく見えること、そしてそれが許される少女の年代は限られることは誰もが認める事実だと思います。コスプレ世界においては 30 代の女性やら時には男性が女子制服を着てみせたりしますが、それがどう見えるかといえば…言わぬが吉でしょう。
可愛い女の子を見て楽しむということは、必ずしも性的な欲求には直結しません。私は幼児虐待には義憤を感じずにいられませんし、援助交際で女子高生とセックスを持とうとも思いません。いくら制服の女学生が可愛く見えても、それは日本の諺にある「やはり野に置け、蓮華草」
だと思います。
とはいってもネット上の話ですが、「制服」「少女」などで検索するとアダルトコンテンツばかり出てくるのがネットの現状だったりします。そのなかでうちのサイトと共通する理念のものを幾つか御紹介します。
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